■父 末弘直方
1848-1920 弘化04-大正09 72歳没
*薩摩藩士出身の警察官僚。
函館区長・福岡県小倉市長・福岡県八幡市長などを務めた。
■母 柏田六右衛門の娘 イト
●直志
●直子 建築家山下啓次郎と結婚→孫はジャズピアニスト山下洋輔
●育子 外交官阿部氏と結婚
●貞子 写真家江崎清と結婚
●ヒロ子 野津鎮之助侯爵と結婚
●トメ子
■妻 野津ヒロ子
1893-1963 明治26-昭和38 70歳没
■夫 野津鎮之助侯爵
1883-1942 明治16-昭和17 59歳没
●高光 佐藤茂の娘緑子と結婚
●美智子 ヒゲタ醤油一族浜口久常と結婚
●真佐子 倉敷紡績 大原総一郎と結婚→娘泰子は美智子皇后の弟正田修と結婚
●佐恵子 京都ダイカスト工業田中秀雄と結婚
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イト夫人の遠縁 酒匂 津屋
〔直方は〕濃い濃い味噌汁をお好みになりました由。
夜中に目覚めて手洗水を飲む方なので、手洗鉢はいつもきれいにしておくものだと私の祖母は〔イトに〕教えました。
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酒匂 津屋
*直方が亡くなった後、直子・育子・貞子の三姉妹が鹿児島を訪問した。
東京生まれ・東京育ちの姉妹が父の故郷を見るためだった。
3台の人力車が門前で止まりました。
中から同じお顔の和装のきれいなきれいな方々が降りて来られました。
山下様・阿部様・江崎様が氏神詣りがてら祖母に会いにいらしたのです。
祖母は「お上がりなさい、お茶でも」と申しましたが、氏神様を拝んでお帰りになりました。
「娘の家に行くと取次が要るから、〔末娘トメ子は気楽な〕高城の田舎に嫁にやる」と言われた直方さんは、あんまり勝手すぎたのではと思います。
学習院を出たお姫様が田舎の四季折々の行事をなんでお分かりになりましょう。
お正月の行事・3月の節句のお菓子・お餅つき・5月のカララン団子とあく巻作り・お盆・お彼岸・お味噌作り・醤油作り。
田舎は本当にうるさいんですもの。
おトメさんはたびたび家にいらっしゃいました。直子様と相似形でいらっしゃいました。
頭が狂っていらっしゃるので、玄関から真っ直ぐ鏡台の部屋に行かれ髪をきれいにされました。
実家のような気がしたのでしょう。いつも空の財布を出されました。
母は「高城から歩いては大変だった故、帰りは車でお帰り下さい。お好きな物を買ってね」と、いくらかを差し上げました。
*「狂ったトメ子を夫が川の中につぶし込んで髪の毛を引っぱる」という光景も近所に目撃された。>結局トメ子は直方の弟 龍岡新熊に引き取られ、そこで亡くなる。
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山下直子の孫 四柳与志夫
〔育子は〕阿部のおばさまと呼んでいた方でした。
英国大使の夫人でしたね。
いつも正装をしていたという記憶があります。
まるで鹿鳴館時代から抜け出したようなきれいな人で、子供心にも憧れたものです。
『どんなに暑くても、決して手袋を取らず、ハンカチを出さない人でした』と直子お祖母様が言っていたのを覚えていますよ。
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山下直子の孫 ジャズピアニスト 山下洋輔
野津のおばさまを何度か見かけたことがあります。
こちらはまだ小学校にも入っていない子供でした。
そのように一時代を騒がせた人とは知るよしもありません。
曲った腰と丸くなった背中、両手にリューマチを患っている老女です。
かすかに足を引きずり、人目を避ける雰囲気がありました。
子供には近寄り難かったそれらの印象から、兄と秘かにカイブツと呼んでいたのです。
何という子供の残酷さでしょうか。時間の残酷さでしょうか。第二次世界大戦直後です。
もやは侯爵夫人ではない野津のおばさまは人目を避けるようにして現れ、出迎える姉の直子おばあちゃんと手を取り合うようにして薄暗い応接間に入って行くのでした。
二人ともいつもきちんとした黒い紋付の着物を着ていました。
長い間二人だけで過ごしていました。
出てくる時に二人がハンカチで涙をぬぐっている時もありました。
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1848-1920 弘化04-大正09 72歳没
*薩摩藩士出身の警察官僚。
函館区長・福岡県小倉市長・福岡県八幡市長などを務めた。
■母 柏田六右衛門の娘 イト
●直志
●直子 建築家山下啓次郎と結婚→孫はジャズピアニスト山下洋輔
●育子 外交官阿部氏と結婚
●貞子 写真家江崎清と結婚
●ヒロ子 野津鎮之助侯爵と結婚
●トメ子
■妻 野津ヒロ子
1893-1963 明治26-昭和38 70歳没
■夫 野津鎮之助侯爵
1883-1942 明治16-昭和17 59歳没
●高光 佐藤茂の娘緑子と結婚
●美智子 ヒゲタ醤油一族浜口久常と結婚
●真佐子 倉敷紡績 大原総一郎と結婚→娘泰子は美智子皇后の弟正田修と結婚
●佐恵子 京都ダイカスト工業田中秀雄と結婚
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イト夫人の遠縁 酒匂 津屋
〔直方は〕濃い濃い味噌汁をお好みになりました由。
夜中に目覚めて手洗水を飲む方なので、手洗鉢はいつもきれいにしておくものだと私の祖母は〔イトに〕教えました。
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酒匂 津屋
*直方が亡くなった後、直子・育子・貞子の三姉妹が鹿児島を訪問した。
東京生まれ・東京育ちの姉妹が父の故郷を見るためだった。
3台の人力車が門前で止まりました。
中から同じお顔の和装のきれいなきれいな方々が降りて来られました。
山下様・阿部様・江崎様が氏神詣りがてら祖母に会いにいらしたのです。
祖母は「お上がりなさい、お茶でも」と申しましたが、氏神様を拝んでお帰りになりました。
「娘の家に行くと取次が要るから、〔末娘トメ子は気楽な〕高城の田舎に嫁にやる」と言われた直方さんは、あんまり勝手すぎたのではと思います。
学習院を出たお姫様が田舎の四季折々の行事をなんでお分かりになりましょう。
お正月の行事・3月の節句のお菓子・お餅つき・5月のカララン団子とあく巻作り・お盆・お彼岸・お味噌作り・醤油作り。
田舎は本当にうるさいんですもの。
おトメさんはたびたび家にいらっしゃいました。直子様と相似形でいらっしゃいました。
頭が狂っていらっしゃるので、玄関から真っ直ぐ鏡台の部屋に行かれ髪をきれいにされました。
実家のような気がしたのでしょう。いつも空の財布を出されました。
母は「高城から歩いては大変だった故、帰りは車でお帰り下さい。お好きな物を買ってね」と、いくらかを差し上げました。
*「狂ったトメ子を夫が川の中につぶし込んで髪の毛を引っぱる」という光景も近所に目撃された。>結局トメ子は直方の弟 龍岡新熊に引き取られ、そこで亡くなる。
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山下直子の孫 四柳与志夫
〔育子は〕阿部のおばさまと呼んでいた方でした。
英国大使の夫人でしたね。
いつも正装をしていたという記憶があります。
まるで鹿鳴館時代から抜け出したようなきれいな人で、子供心にも憧れたものです。
『どんなに暑くても、決して手袋を取らず、ハンカチを出さない人でした』と直子お祖母様が言っていたのを覚えていますよ。
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山下直子の孫 ジャズピアニスト 山下洋輔
野津のおばさまを何度か見かけたことがあります。
こちらはまだ小学校にも入っていない子供でした。
そのように一時代を騒がせた人とは知るよしもありません。
曲った腰と丸くなった背中、両手にリューマチを患っている老女です。
かすかに足を引きずり、人目を避ける雰囲気がありました。
子供には近寄り難かったそれらの印象から、兄と秘かにカイブツと呼んでいたのです。
何という子供の残酷さでしょうか。時間の残酷さでしょうか。第二次世界大戦直後です。
もやは侯爵夫人ではない野津のおばさまは人目を避けるようにして現れ、出迎える姉の直子おばあちゃんと手を取り合うようにして薄暗い応接間に入って行くのでした。
二人ともいつもきちんとした黒い紋付の着物を着ていました。
長い間二人だけで過ごしていました。
出てくる時に二人がハンカチで涙をぬぐっている時もありました。
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